四季彩綴り

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GWの旅-長府

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  1. 山陽
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何だかんだと言っている間に1ヵ月以上過ぎてしまいましたが、遅ればせながらGWの旅のレポをアップして行こうと思います。

今年のGWは休みの取りようによっては非常に長い期間を使えるため、当初は東北・平泉再訪(ちょうど贔屓球団の遠征も組まれていましたし)や未踏の地の日光なども候補に挙げていたのですが、大震災により道路事情や電力問題もどうなるかわからない状態でしたので、今回はひとまず回避して西国へ方向転換。

高速道路の休日上限1000円も間もなく廃止になりますが、この制度ができて随分あちこち出掛けて来たものの、遠方の親戚を訪ねるという目的では利用していなかったもので、最終目的地を長崎として、その道中に山口県宇部市に住む父方の大叔母を始め、何軒か回ろうという話になりました。

ということで、例によって4月28日夕に大阪を発ち、その夜は宮島SAにて車中泊。
翌朝、朝の散歩がてらサービスエリア内の展望台へ。



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厳島神社に倣い立派な鳥居まであります (^^ゞ



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はるか遠くに見えるのは厳島。
朝靄に霞みがちですが、望遠で撮ったものをさらに拡大して行くとかろうじて本物の大鳥居が確認できます。



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時間が許せば途中下車して宮島に渡り、厳島神社参詣と行きたかったのですが、後のスケジュールを考えると一杯一杯で、ここからの遥拝に留めることとなりました。

さて、この後は山陽道をさらに西進して宇部へ。
今回の旅では話の流れから長崎の伯母夫婦も同行することになり、途中で合流の後、早速親戚宅を訪問となりましたが、私は2軒目までお付き合いして、その後は本隊から離れ電車で先に下関に向かうことに。




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最寄駅の宇部線「琴芝駅」。
1時間に1本あるかないかのローカル線の上に、山陽本線の「宇部駅」に出るのにもう1本乗り継ぎが必要になり、結局下関に到着したのは午後12時半すぎ。さらに昼食を摂ったりしていたらあっという間に午後1時を過ぎ、大急ぎでバスに飛び乗り長府方面へ向かうことになりました。

本来は山陽本線の「長府駅」で下車すれば良かったのですが、バスの一日乗車券を取り扱っていないようでしたので、それをゲットするためにわざわざ下関まで行ったという…。が、この無駄な努力は結局徒労に終わってしまうのですけどね (^_^;)


ということで、長府駅手前の「松原」バス停で下車。
バス停のちょうど真ん前に豊浦高校があり、その北側の路地を進んで行きますと石垣が…。



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櫛崎城址。
古くは平安時代の藤原純友の頃にも謂れがあるようですが、ずっと時代を下って周防の守護大名大内氏の重臣が築城し、その後毛利氏の麾下に入り、関ヶ原後は毛利の支藩・長府藩の居城として改修され雄山城と改称。しかし、その後の一国一城令により取り壊しとなり、隣接地に藩主の居館を建て長府藩の政庁が置かれたということです。

現在は整備されて関見台公園となっているようですが、今回の目的はこちらにあらず。




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突き当りを左折。




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ゆるやかな坂道の先にあるのが豊功神社(「トヨトコ」と読みます)。




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明治元年(1868)に旧藩主毛利家の霊屋として創建されたもので、神話伝説の島として知られる満珠・干珠の二つ無人島を望むことのできるスポットとして知られています。



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(この画像の拡大表示は こちらをクリック のこと)

神功皇后が新羅出兵の際に、住吉大神の化身である龍神から潮の満ち干を自在に操ることができる2つの宝珠「潮干珠(しおひるたま)」と「潮満珠(しおみつるたま)」を授けられ、その霊力によって見事勝利を収め凱旋した後、龍神に宝珠を返すべく海に沈めるとそこから2つの島が浮かび上がったという伝説の島。

しかし、寄り添うように佇むこの二島のどちらが「満珠」でどちらが「干珠」かは諸説あり、国土地理院発行の地図では沖の方を「満珠島」としていますが(GoogleやYahoo!などの地図検索もこれに倣っているようです)、二島を所管する 忌宮神社(イミノミヤ) の土地台帳などでは陸側を満珠としていて、はっきりと断じることができないことから、二つ合わせて「満珠・干珠」と呼ぶのが一般的なようです。




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(この画像の拡大表示は こちらをクリック のこと)

この満珠・干珠島付近の海域は壇ノ浦の戦いに際して、源義経率いる源氏軍が各地より招集した船団を終結させ拠点とした場所とされ、またこの地域は別名「奥津」とも呼ばれ、対する平家の拠点が「彦島」。「追津」と「引島」とかけてその後の両軍の勝敗を暗示させる表現が『平家物語』にも見られます。




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青空の下、視界も良好でくっきりと浮かび上がる満珠・干珠を見られたのはこの旅の中での最大の収穫でした。今さらながらこの初日が勝負だったのですよね… (-_-;)




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豊功神社の社殿は昭和44年に火災で焼失し、それ以来ずっと仮社殿のままだそうです。




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御祭神の一つにもなっている武内宿禰が神宮皇后に代り満珠・干珠の二宝珠を海に投げ入れるの図。



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境内の一角にある龍宮神社。
元々この付近の豊浦の海は龍宮界の窓口とされ、その龍宮の使いの龍を祀る祠が千年前よりこの地に築かれていたと伝えられているようです。


ということで、満珠・干珠詣でを終え、バス停に向かって歩いている途中で携帯電話の着信があり、本隊は既に長府を過ぎ、下関の唐戸に向かっていると言う知らせに茫然。この後、長府庭園にも寄ろうかと思っていたのですが、そんな時間もなく慌ただしくまたバスに飛び乗り唐戸で本隊と一旦合流。しかし、巌流島めぐりに向かうという本隊とはまたも分れ、門司港行きを選択するならそんなに慌てて合流する必要もなかったのですけどね (^_^;)



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関門連絡船でわずか5分の船旅。
しかし、凄まじいスピードに立ち乗りだと振り落とされるんじゃないかとちょっぴり腰が引けるほどで…。門司港に上陸してからもまだ揺れているような感覚がしばらく続きました (^^ゞ


【撮影日:平成23年4月29日】




《メモ》
  豊功神社 (トヨコトジンジャ) 【地図】
   山口県下関市長府宮崎町4-1
   TEL:083-246-0124





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