四季彩綴り

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夏の高野山(3)壇上伽藍

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  1. 和歌山
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金剛峯寺の拝観を終え、次に向かったのは壇上伽藍。



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参道の蛇腹道は高野山の紅葉スポットの一つですが、もう早くも色づいている?





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まず最初に登場の建築物は「東塔」。
平安時代末期の大治2年(1127)に白河院の御願によって創建。
江戸時代後期に焼失し、現在のものは昭和59年(1984)に再建されたものです。




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左が「大会堂」、右が「三昧堂」と「西行桜」。

大会堂(だいえどう)は元は蓮華乗院と称し、鳥羽法皇の皇女の五辻斎院・頌子内親王が父帝の追福のために建立。
頌子内親王の母は美福門院の女房・春日局で徳大寺実能の養女となっている女性ですが、その徳大寺実能は待賢門院の同母兄でもあり、さらに二代后・多子も実の孫。この関係性は中々興味深いですね。

また、蓮花乗院を現在地に移築するにあたり奉行役を担ったのが西行法師で、その際に朝夕のお勤めをしたのが東側にある「三昧堂」。その三昧堂の前には西行お手植えと伝わる「西行桜」がありますが、木が小ぶりなのを見ればわかるように、先代のものは江戸時代後期に枯れ、現在あるのは後世に植えられたものだそうです。





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後醍醐天皇により建立された「愛染堂」。
内部には後醍醐天皇の御等身といわれた本尊の愛染明王が安置されていたそうです。





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国宝の「不動堂
建久8年(1197)に鳥羽上皇の皇女・八条院子内親王の発願により建立。
ちなみに子内親王の母は美福門院です。
元は一心院谷という場所に建てられていたものを、明治41年(1908年)の解体修理の際に壇上伽藍の現在地に移築されたようです。


ということで、いよいよ真打!の登場。



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高野山のシンボル的な建築物の「根本大塔」。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれますが、現在のものは昭和12年(1937)の再建。

しかし、これを見ていてふと大阪の万博公園にある太陽の塔を思い出したのは私だけでしょうか (^_^;)





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御影堂」と「三鈷の松




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三鈷の松は弘法大師が密教を広める修行場を求めて投げた法具の三鈷が引っかかっていたという松で、霊場高野山の始まりとなったもの。




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そして、御影堂は開基の弘法大師の肖像画=御影が祀られている御堂で、弘法大師の在世中は持仏堂であったと言います。

御影堂は奥之院御廟と共に最重要の聖域に位置付けられ、長らくの間、ごく限られた人しか中に入ることを許されませんでしたが、現在は旧暦3月21日に行われる「旧正御影供」の前夜の儀式「御逮夜法会(おたいやほうえ)」の際に、外陣への一般参拝も行われているようです。





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孔雀堂」(左)と「准胝堂」(右)。




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「西塔」
根本大塔と二基一対となる塔で、根本大塔の本尊が胎蔵界大日如来であるのに対し、西塔の本尊は金剛界大日如来。密教世界を具体的に表現する「法界体性塔」とされています。

東塔があるのでそれと対なのかと思っていましたが、根本大塔と対なんですね。朱塗りの派手な大塔とは正反対の白木のままのシックな佇まいがむしろ重厚な印象を与えます。




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木々越しに見る西塔。
秋の紅葉の時期に見たい風景ですね。




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そして「山王院」。
高野山内ですがこちらは地主神を祀る御社の拝殿。
この裏に山王院本殿があります。




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山王院本殿(御社、明神社)。
弘法大師が山麓の天野社から地主神として勧請して高野山の鎮守としたものだそうです。




さて、壇上伽藍の中で私的に一番気になる建物といえば、やはりこちらですね。




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六角経蔵
美福門院が鳥羽天皇の菩提を祈るため、平治元年(1159)に金泥で書写した一切経を奉納し、それを収めるために建てられたのがこの六角経蔵の始まりとされています。ただ現在の建物は昭和9年(1934)に再建されたもので、往時のものとは全く異なりますが…。




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この経蔵等の維持費として美福門院は紀伊国荒川庄を寄進。これにより奉納された金泥一切経を「荒川経」、また経蔵を「荒川経蔵」などとも呼ぶようになったと言います。
ちなみに「荒川庄」というのは現在の紀ノ川市桃山町、つまり「あらかわの桃」のあの地に当たるそうで何とも奇遇ですね (^-^)





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「登天松」と「杓子芝」
この由来については こちらのページ にちょっと面白い話が載っています。



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金堂
高野山開創当時は講堂と称されていましたが、平安時代半ばから高野山の総本堂として重要な役割を果たす建物。

この金堂は災禍により6度も焼失しており、その度に再建されて現在が7代目。昭和7年(1932)に完成し、耐震耐火を考慮して鉄骨鉄筋コンクリート構造となっているようです。





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ということで、一周して来て根本大塔とこうやくんのツーショット。
しかし、壇上伽藍エリアは広大すぎるゆえか、人けもまばらでわりあいゆっくりと見て回れました。金剛峯寺や奥の院と比べると穴場かな?

個人的には院政期関連の建物が多く、とても興味を惹かれるエリアでしたけどね (^_^;)



【撮影日:平成23年8月16日】



《メモ》
  壇上伽藍 【地図】
   和歌山県伊都郡高野町高野山
   TEL:0736-56-2011
   拝観時間… 8:30-17:00
   拝観料… 金堂200円、大塔200円、境内散策は自由





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