四季彩綴り

龍神スカイライン&野迫川村

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  1. 和歌山
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高野山から龍神スカイラインを少しドライブ。
何度となく訪れている花園のあじさい園に確かシャクナゲもあったはず…と思い、訪ねてみることにしたのでした。





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ドライブしているうちに青空も広がって来ました。





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(この画像の拡大表示は こちらをクリック のこと)

木立の間に見え隠れしているのは確かにシャクナゲの花。




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この日、初めての青空とシャクナゲのツーショット。





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ずんずん登って行って、上から見下ろしてみましたが、花がちょっと遠いか…。





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(この画像の拡大表示は こちらをクリック のこと)

あじさい3000株に対しシャクナゲ1000株ではちょっと太刀打ちできませんかね。
花の大きさも紫陽花よりはだいぶん小ぶりな上に、まだせいぜい五分咲き程度でしたから、さらにこじんまりとしてしまって…。これが満開で幾分花が白っぽくなった頃なら葉の緑に映えてもっと華やかに見えたかもしれませんね。





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とはいえ、まっすぐに伸びた木立の間にシャクナゲの花が咲く野趣あふれる風景に癒されました。



ところで、ここに立ち寄る前に、もう少し先のこちらまで足を伸ばしていました。





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ごまさんスカイタワー。
この独特の形状は密教の護摩木を積み上げたものを表しています。




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真下から見上げるとこんな感じで。

このタワーはここが山頂へ向かう遊歩道の入口になっている「護摩壇山(ごまだんざん)」という山(和歌山県で第二位の標高1372m)にちなんだもので、「護摩壇山」の名は源平合戦の頃にこの地に落ち延びて来た平維盛が護摩木を焚いて平家の命運を占ったという伝承が元になっているようです。

平維盛と言えば、一の谷の合戦時に病欠して屋島にとどまっていましたが、一の谷の敗戦後に密かに平家軍を離れて高野山に登り出家した後、熊野を詣でて那智の浦に入水自殺したと『平家物語』で語られ、これが通説となっていますが、この時代の第一級史料の『玉葉』よれば少し様子が違いまして、

「維盛卿三十艘許相卒指南海去了云々」(寿永3年2月19日条)

つまり維盛は三十艘ほどの船団を率いて南海を目指して去って行ったと…。
これが平家一門に見切りを付けての離反行為だったのか、あるいは重大な使命を帯びての工作だったか…、この辺りは定かではないのですが、一つの説として、熊野水軍への援軍要請の使者として派遣されたというものもあるようです。

しかし、別当湛増に断わられて(『平家物語』では鶏合せの結果ということに)屋島に戻るに戻れず、果ては流浪の身となり、壇ノ浦後はさらに鎌倉幕府の残党狩りが厳しくなったことから山深い奥熊野に逃れ、各地を転々としながら三十数年後の承久元年(1219)に61歳で生涯を終えたという伝承が残されています。




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その維盛最期の場所というのが現在の野迫川村(のせがわむら)で、龍神スカイラインから十数キロ山間に入ったところに平維盛歴史の里なるスポットがあります。

なお、ここからは昨年夏に撮った画像になります。




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高野山から来ましたのでピンと来ませんが、野迫川村は奈良県吉野郡。
また、くだんの場所は平家落人の里らしく「平」という地名になっています(あくまでも平家の落人が問題とならない後世に付けられた名称だとは思いますが)。





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敷地内には芝生に覆われたこんもりとした小山がありまして





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その頂上に佇むのは…





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小松三位左中将平維盛と刻まれた塚。
里人が彼の死を悼んで建てたものとされ「維盛塚」と呼ばれています。

ただし、公の記録である『公卿補任』には左近中将の記載はなく、従三位右近衛権中将が極官となっていますので、誤りか、あるいは都落ち後に安徳天皇の下で独自に補任されたものかもしれませんね。





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(この画像はクリックで拡大表示可)

「維盛塚由来記」





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また、同じ敷地内にはいくつかの建物が林立しており、一部は歴史資料館になっているようです。





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資料展示処とありますが





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あいにくと休館中で、真っ暗な室内に何体かの蝋人形とジオラマのようなものがかろうじて見えました。





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反対の扉からも。
こちらの蝋人形が、後白河法皇の五十賀で「青海波」を舞う維盛を表しているらしいのですが… (-_-;)

無人ながら自由見学できるという情報だったのですが、どうやら中の機材が故障していて閉館中だった模様で…。現在どうなっているかも不明です。





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ということで、せっかく訪ねてみたものの、資料館の見学ができず目的の半分しか達成できませんでしたが、もし未だ休館中としても今年の大河ドラマの後半で維盛さんがクローズアップされるようなら、機材を修理して再開館ということもあるでしょうか。

なお、こちらでは毎年夏に「平維盛の大祭」と銘打った例祭が行われていて、フィナーレにはおよそ3000発もの花火が打ち上げられるとか。今年は7月28日(土)に開催予定のようです。

立地的に夜のお祭りを訪ねることはちょっと難しいですが、資料館が再開されていればそれを目当てに、またいつか機会を見て再訪できたらと思っています。

【撮影日(シャクナゲ):平成24年5月12日】


《メモ》
  花園あじさい園 【地図】
   和歌山県伊都郡かつらぎ町大字花園久木364-26
   入場料…大人200円
   開園時間… 9:00-16:30


  ごまさんスカイタワー 【地図】

  平維盛歴史の里 【地図】
   奈良県吉野郡野迫川村平51
   TEL:0747-37-2101(野迫川村役場)





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comment

  1. 2012/06/01(金) 13:07:46 |
  2. URL |
  3. 手鞠
  4. [ 編集 ]
ともp様、レスが遅くなってどうもすみません m(__)m

あじさい園のシャクナゲはあともう一息、翌週ぐらいならさらにもっと華やかだったろうと思うのですけどね。でも、こういう山の中の群生のようなものは見たことがありませんでしたので、お寺に咲いているのとはまた違った風情を楽しめてよかったですよ。

野迫川の歴史の里は、本当に昔懐かしい風景という感じでした。
山道をだいぶん奥へ入って行かないといけないので、それこそ秘境のような佇まいで…(^_^;)
維盛さんが実際にここにいたかどうかは知る術もありませんが、もしかしてこの風景を見て暮らしていたのかも…と思うと、やはりじんわりと来るものがありました。

時子さんのお腹の子、盛子も確かに候補者の一人ですよね。
ただ、盛子まで時子の実子にすると、徳子・重衡と合わせて年子3連発ぐらいやらないと年齢的に難しくなってきますし、そこまでやるかなあ… (?_?)

思わぬところから隆房さんの名前が出て来たものですね。
鯛をさばく隆房…、後世の創作としてもそこでわざわざ隆房を宛てたというのがまた面白い!
今の雲行きでは大河には登場しなさそうですけどね。

家成さんのようなアドバイザー的なポジションに隆季・隆房父子か、邦綱辺りが出て来るかなと思っていたのですが、全部時忠で済ませてしまうのかしら?

  1. 2012/05/30(水) 14:13:53 |
  2. URL |
  3. ともp
  4. [ 編集 ]
こんにちは。またご無沙汰をしておりました。

花園あじさい園の石楠花、きれいですね。石楠花はそれ自体とても華やかなので、このぐらい野趣あふれるなかに咲くのもいいですね。山吹も綺麗で、今かかえている案件が終わったら、花巡りをしたいです。

平惟盛歴史の里も、昔の日本がそのまま残っているような風景ですね。もし維盛が本当にここに逃れてきていたのなら見たであろう風景が残っているような感じがいたしました。

ところで、時子さんのお腹のなかのお子様ですが、このさい盛子ということはありえませんか?人物相関図に最初から盛子がいますし。確かに盛子の母は不明ですが、時子説もありますし、史実の清盛はいざ知らず、あの清盛なら他に女性をつくるほど甲斐性?があるとは思えません^^;

ところで今『宮中のシェフ、鶴をさばく』(吉川弘文館)という本を読んでいるのですが、『御家元包丁道御縁記』という本に、清盛が藤原隆房に鯛を料理をさせたという記述があることが紹介されていました。もちろん後世の創作なのですが、隆房っていろいろやらされますね。ますます大好きになりました。今年の大河に登場しない(たぶん)のが残念でなりません。


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