四季彩綴り

岐阜・青墓の宿

03青墓宿標柱02


  1. 東海
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白山スーパー林道の雲海と紅葉のレポで中断しましたが、話を元に戻しまして10月の三連休の中日の10日に 「なばなの里」へ出掛けた際 に立ち寄った源平ゆかりの史跡のご紹介を。


今回のスポットは岐阜県西部の大垣市にある二箇所。
そのうちのまずは青墓町から参りましょう~♪



 


01青墓宿標柱03



03青墓宿標柱02s
畿内防御の要とされた三関の一つ「不破関」(関が原町)から東へ約10kmの所にある宿駅「青墓宿」。

古代・中世の文献にも「奥波賀」「青波賀」「遭墓」「大墓」などと記された(※注) 東山道中の要衝の一つで、また源為義・義朝父子との関わりも深く「源氏ゆかりの地」としても知られています。



※漢字の当て方からして「青墓」は「アオハカ」ではなく「オオハカ」と読むのが正しいようです。




そして、この標柱の前の道を少し北上しまして…









04円興寺00



05円興寺01



06円興寺02


やって参りましたのは篠尾山「円興寺」。

大炊氏が伝教大師最澄に帰依して建立したもので、盛時には壮麗な七堂伽藍を配し、その他坊舎・末寺等100ヶ寺、寺領5千俵を領する一大寺院であったと伝えられています。

大炊氏は青墓の長者で、その一族の中には東国と京の往来で頻繁に立ち寄った源氏の為義&義朝父子の妾となって子を儲ける者もあったとか。そうした縁から平治の乱で敗れ都から逃れて来た義朝一行を一時密かに匿い、また無惨に討ち滅ぼされて後はここ円興寺を菩提寺としてその後世を弔ったと言います。





07円興寺03




09円興寺07鐘楼




08円興寺06本堂

義朝・義平・朝長の父子と大炊一族の位牌を祀る本堂。
青墓と言えば、義朝の次男・朝長の傷ましい悲話が真っ先に思い浮かびますね。






11円興寺04

義朝と共に落ち延びて来た三人の息子の内、長男の義平は坂東生まれで若くとも「悪源太」の異名も持つ豪将でしたが、残る二人、朝長と頼朝は京育ちの公達然とした少年で、三男の頼朝にいたっては慣れぬ雪中の行軍の疲労からいつしか一行とはぐれてしまう始末。

そんな中、義朝は再起を図るため、義平を北国へ、朝長を信濃へ下らせ、今一度兵を集めようと目論みますが、朝長は竜華越え(洛北大原から琵琶湖へ抜けるルート)の際に射られた太股の矢傷が化膿して身動きが取れなくなって早々に舞い戻り、そのことで父義朝からきつく叱責された朝長は「生きて虜囚の辱めを受けるよりは…」と父自身の手で討たれることを望み、この地で享年16歳の短い生涯を閉じたと伝えられています。

朝長の亡骸は大炊氏によって円興寺境内に葬られましたが、この円興寺は戦国時代に織田信長の焼き討ちに遭い、江戸時代初期に現在地に移転して再建されており、元の寺跡は1km弱東側の山中へ分け入った所にあるようです。






12円興寺09




12円興寺09地図アップ

境内にあった案内図によれば、旧寺跡・源朝長の墓へは遊歩道が整備されていて、わりあい気軽に行けるようでしたが、全長約1.6kmの山道となると1時間ぐらいは見ておく必要があるでしょうし、そんなに長い時間同行人を待たせておくわけにもいかず断念。まあ、これも源氏への愛の薄さゆえという所もあるかもしれませんね (^_^;)





13円興寺03-2

さて、それとは別に、本堂へ上がる石段の脇に佇むのが『梁塵秘抄』の歌碑。
人馬の往来の激しい街道筋にはつきものの、遊女や傀儡にまつわる伝承も多く残され、とりわけ平安時代中期から鎌倉時代にかけて流行した「今様」は当地が発祥と言われています。






14円興寺05

源平の争乱期においてはラスボス的な存在で知られる後白河法皇ですが、その若き日には政治向きのことなどまるで無関心で歌謡芸能事に没頭。その熱中ぶりは「比類なき暗主」と陰口を叩かれるほどであったとか (^_^;)

とりわけ、当時の流行歌「今様」は大のお気に入りで、四季も昼夜も問わず謡い暮らして、挙句に三度も喉を潰してなおも謡い続けたという 今様バカ もとい 今様狂い。そのうちに一人カラオケ(爆)に飽き足らず、本場のプロ歌手のレッスンを受けようと今様の聖地・青墓から名手といわれた「乙前」なる傀儡女を召し出してその技量の伝授を直々に口伝えで受け、後に法皇自らが執筆した今様集『梁塵秘抄』にも大きな影響を与えたと言います。

今様と一口に言ってもどのようなものかイメージしづらいかもしれませんが、基本形は「7・5・7・5・7・5・7・5」で1コーラスを構成する七五調。雅楽の演目の一つ「越天楽」の節回しに歌詞を付けた『越天楽今様』に始まり、九州に伝わったものは筑前今様、さらに黒田節と呼ばれるようになったと言います。

ちなみに「黒田節」の歌詞を紐解いてみますと

  さけはのめのめ のむならば ひのもといちの このやりを
  のみとるほどに のむならば これぞまことの くろだぶし

字数を数えやすいようにあえて平仮名で表記しましたが、確かに「7・5・7・5・7・5・7・5」で1番が出来上がっています。こういうタイプのものは耳慣れた唱歌などにも多く、『荒城の月』や『蛍の光』なども同類。古来、和歌などで親しまれた調子でもあり、自ずと馴染みやすいところがあるのでしょうね。








15円興寺10

碑文は『梁塵秘抄』の代表的な一節の冒頭文の「遊びをせんとや生れけむ」。

「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
 遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」

まさに「遊び」や「戯れ」のごとく平家や源氏を手玉に取り、自らもまた翻弄された後白河法皇という人物の心髄を表しているような一節ですね。

再来年の大河作品発表の際に、脚本家さんもコメントの中で引用しておられますし、どういう形でこれが生かされるか― 後白河さん自ら朗詠するシーンなどあるのか? ― そういう所も楽しみの一つですね (^-^)






17円興寺13楓

円興寺は「飛騨美濃紅葉三十三選」にも選ばれる紅葉の名所だそうで、これから晩秋のお出掛けにもよいでしょうね。





18円興寺11金木犀

今回は紅葉の代わりに、少し盛りを過ぎた彼岸花(写真の写りがイマイチだったので割愛)とこの金木犀の甘い香りが心に残る訪問になりました。



ということで、次回はこの青墓町と同じ大垣市の某所(そちらは別件でも結構メジャー)をご紹介いたします。



【撮影日:平成22年10月10日】



《メモ》
  円興寺 【地図】
   岐阜県大垣市青墓町880
   TEL:0584-71-4539





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