四季彩綴り

岐阜・墨俣

01一夜城01


  1. 東海
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岐阜県の大垣市の東端、と言っても間に安八町が横たわっており、実際には大垣市とは隣接してない「飛び地」の墨俣町(2006年に大垣市に編入されるまでは安八郡墨俣町でした)。

この地は揖斐川・長良川・木曽川の木曽三川が合流する地点で(時代と共に川の流れに変化もありますが)、古来、東海道と東山道を結ぶ交通の要衝として知られ、戦国時代には織田信長の美濃侵攻の足掛りとして豊臣秀吉が一夜城を築いたことでも有名です。







02一夜城02

平成になって建てられた模擬天守の墨俣城(大垣城の天守を模倣)。
内部は歴史資料館として利用されているようですが、今回は時間の都合もあり外観撮影のみでスルー (^_^;)


さて、この墨俣一夜城から南へ2kmほど下った所に、秀吉の時代からさらに400年近く前に起きた合戦の跡地とされる場所が残されています。





03義円公園01

その名も「義円公園」。

義円は源義朝と常盤の間に生まれた三人の男子、今若・乙若・牛若の二番目に当たり、義経の実兄で、頼朝の異母弟という位置づけになります。

平治の乱後、醍醐寺に入った今若に続き、二番目の乙若も園城寺に入れられ出家。最初の号は「円成」と言い、後白河法皇の皇子・円恵法親王(園城寺長吏)の坊官を務めていたとされていますが、治承4年(1180)に異母兄の頼朝が伊豆で挙兵したとの報を聞くや関東に下り、その際に名も「義円」と改め、対平家との戦いに身を投じることになります。

そして、翌治承5年(1181)3月、平家が棟梁・清盛の急死(閏2/4)により浮き足立った所を掬うように源行家がここ墨俣に陣を敷き、甥に当たる義円も行家と行動を共にして初めての合戦に挑みますが、結果は大惨敗。義円はあえなく討ち取られ、享年27歳の短い生涯を終えたのでした。





05義円公園02供養塔

義円の供養塔。





06義円公園04義円地蔵

こちらの御堂には義円地蔵が祀られており、毎年命日にあたる3月11日に供養が行われているそうです。







07義円公園03古戦場碑

そして、同じ敷地内にある「源平墨俣川古戦場」の碑。






04義円公園05解説

墨俣川は現在の長良川を指すようで、『平家物語』のスタンダード版「覚一本」では「尾張川」(現木曽川を指す)とありますが、鎌倉方の『吾妻鏡』や九条兼実の公卿日記『玉葉』、あるいは同じ『平家物語』でも異本の「延慶本」などでは「墨俣」「洲俣」と表記されていて、「墨俣川の戦い」という称が一般的になっています。

また『平家物語』とその他史料では合戦の詳細も微に入り細に入り異なっており、

 ◆軍勢
  『平家物語』 … 平家30,000余騎、源氏6,000余騎
  『玉葉』    … 平家13,000余騎、源氏5,000余騎

 ◆大将
  『平家物語』 … 平家-知盛、源氏-行家
  『玉葉』    … 平家-重衡、源氏-行家

 ◆合戦の始まり
  『平家物語』 … 源氏が奇襲をかけ、平家はこれを待ち受け返り討ちに
  『玉葉』    … 平家も奇襲を企てるが、その前に源氏が攻め入り乱戦に

というような具合で、軍勢のサバ読みは軍記物には付き物のこととして、気になるのは平家の総大将が異なること。この点については『玉葉』の方が信憑性が高いでしょうから、暗に重衡から知盛に差し替えられたということになります。あるいは前年末の南都焼討からわずか4ヶ月足らずで、重衡が仏罰に当たるどころか再び勝利を収めたということが、物語の構成上、NGと判断されたのかもしれませんね。

また、この合戦の経緯を見るに、どうも「富士川の戦い」と対になっているような感じで、同様の戦法で行けると見込んだ行家の甘さと、さすがに無様な二の舞は演じまいと抜かりのなかった平家の逆転現象が、物語全体の流れの中で効果的に効いているように思われます。これはひいては行家と頼朝、あるいは知盛(重衡)と維盛の大将としての器量の差を表しているようにも…。

ただ、この「墨俣川の戦い」自体は、鎌倉の頼朝の命に応じての行家の挙兵というより、むしろ頼朝の諫止を無視しての単独行動の様相が強く(義円も鎌倉まで下る前に行家と行き会い誘い込まれたか?)、よって、東国の豪族衆を総動員しての「富士川の戦い」とは比べ物にならない規模の小ささで、平家にすれば勝って当たり前の合戦。現にこの勝ち戦を境に以後は苦戦続き(相手が木曽義仲に代わりますが)でやがて都落ちへと至っていますから、そこは推して図るべし…ですね (^_^;)





ということで、少し話が逸れてしまいましたが、あの源義経の実兄でありながら、あまりに世に出た期間が短く、また何の手柄も挙げられなかったことも災いして、何かにつけ忘れられた存在になりがち(義経主役のドラマでも見たことがありません)な義円の終焉の地。

彼を葬った墓も(供養塔とは別に)この義円公園の裏手の少し離れた田んぼの中にひっそりと佇んでいます。






08義円公園05義円墓01




09義円公園06義円墓02




10義円公園07義円墓03

一つ書き忘れておりましたが、義円の前の「円成」という名前は、仏門の師・円恵法親王の「円」の字と、母常盤の再婚相手で義父に当たる藤原長成の「成」の字によると見られ、その「成」の字に替えて採った「義」の字はもちろん実父の義朝にちなんでのもの。

異腹とはいえ兄の頼朝に討たれた義経、そして甥の頼家に討たれた全成の末路を見るにつけ、戦の不得手は如何ともし難かったものの、最後は源氏の子として宿敵平家と戦いながら逝けたことは、義円にとって本望だったかもしれませんね (-_-)



【撮影日:平成22年10月10日】



《メモ》
  墨俣一夜城(墨俣歴史資料館) 【地図】
   岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
   TEL:0584-62-3322
   入館料… 一般200円、18歳未満無料
   開館時間… 9:00-17:00
   休館日…12/29-1/3,月曜日,祝日の翌日


  源平墨俣古戦場跡(義円公園) 【地図】
   岐阜県大垣市墨俣町下宿




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