四季彩綴り

吉野山(2)金峯山寺~金峯神社

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大変長らくお待たせしました。
吉野山の続きでございます。

キツい上りの参道をてくてく歩いてようやく金峯山寺に到着。



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しかし、まだ聳え立つ仁王門への石段が立ちはだかります。





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筋骨隆々の厳めしい仁王様。





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その仁王様の前に「蛙飛行事」と書かれた提灯が…。






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この絵は確かに蛙ですよね?






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仁王門をくぐり中へ。
奥の方にまだもう一越え石段が残っています (^_^;)






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ようやく本堂にたどり着きました。
いやあ、とにかくでっかい!
木造の古建築としては東大寺の大仏殿に次ぐ規模だそうです。





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金峯山寺本堂。
またの名を「蔵王堂」。

蔵王権現を祀る仏堂という意味ですが、この蔵王権現さんはインドに起源を持たない日本独自の仏様で、役小角が吉野山に籠って修行中に感得した(祈りによって出現させた)との伝承が。

釈迦如来(過去)・千手観音(現在)・弥勒菩薩(未来)の三尊が合わさったもので、過去~現在~未来の三世にわたって衆生を救うとされる、ある意味、万能の仏様ということです。






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蔵王堂内部は撮影禁止ですので、扉の前の写真のみ。
五色の幕が設えられているのは翌日に控えた 奥田の蓮 を捧げる蓮華会、そして、蛙飛び行事のためなのでしょうね。

ということで、この蛙飛び行事とはいったい何なのか。
残念ながら前日でしたので、行事そのものをお伝えすることはできませんが、簡単な概要をば。

時は平安時代後期、白河天皇の延久年間(1069~1074年)の頃に、神仏を侮る傲慢な男が金峯山に登って蔵王権現や修験道を罵ったところ、仏罰が当たって大鷲に攫われ、大峰山中の断崖絶壁に置き去りにされてしまうことに。

男もさすがに後悔して震え上がっていたところに、ちょうど通りかかった金峯山寺の高僧が哀れに思い、男を蛙の姿に変えて救い出し、その後、蔵王堂に連れ帰り法力により元の人間の姿に戻してやった…というお話が伝わっています。

その最後の場面を再現するのが「蛙飛び行事」で(蛙は着ぐるみです)、元は中世に盛んだった修験道の成果を競う「験比べ」の一つとして行われていたものが、やがて蓮華会の行事の一つに組み込まれるようになったようです。

蛙飛び行事の模様を収めた某新聞社の動画が YouTube に上がっていましたので、興味がおありの方は こちらから どうぞ。

また、ネット検索中にこのエピソードをWeb絵本に仕立てられたものにもヒットしました。
味わいのある語り付きですので、よろしければ そちらも どうぞ。



しかし、始めは「蛙」と聞いて、奥田弁天神社の一つ目蛙にちなんだものかと思ったのですが、全くの別物だったわけです (^_^;)

それでも、蛇やトカゲなど他の地を這う生き物でもよさそうなものを、他でもない蛙に変えたのは、やはり役小角が亡き母のために蛙を供養したという下地があってのことかもしれませんね。





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蓮華会の締め括り、採燈大護摩供のための設え。
採燈大護摩供は屋外で行う大規模な護摩法要のことです。





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あと、蔵王堂の前には「大塔宮御陣地」と刻まれた碑も。
後醍醐天皇の皇子・護良(もりなが)親王(大塔宮)が吉野山に立て籠もった際に、ここ蔵王堂を本陣とし、落城の折にはこの大庭で最後の酒宴を開いたといわれています。





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また、片隅には護良親王の影武者となり自害したという「村上義光忠死之所」の碑も。
村上義光の墓は蔵王堂から北西約1.4km、下千本の駐車場のほん手前にあったようなのですが、華麗にスルーして来てしまいました (^_^;)

吉野は建武の親政破綻後に後醍醐天皇が開いた南朝方の拠点であったり、あるいはずっと時代を遡って飛鳥時代には大海人皇子が挙兵し壬申の乱が始まった地でもありますから、それら関連の史跡も数多く残っていることと思いますが、下調べ不足&時間的な制約もあって今回は完全スルー。

それでも、他に一カ所だけ歴史上の人物ゆかりの場所を訪ねてみました。


蔵王堂から車で一気に奥千本へワープ。



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奥千本のバス停の真ん前に立つのは金峯神社の鳥居。




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鳥居の柱には消えかけていますが「源義経隠堂」と思しき文字が。
とりあえず鳥居をくぐって参道を上って行きますが、これがかなりの急坂で日ごろの運動不足もたたって途中から息も絶え絶えに… (~_~;)





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上りは苦しくてとてもカメラを構えられず、帰りに撮った画像。
舗装されていても、これは石段よりキツいかもしれない。





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その分、上からの眺めは抜群…のはずですが、この日は曇天の上に見通しもあまり良くなかったので、イマイチでしたかね。





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ようやく金峯神社の拝殿が見えて来ました。
良い感じに桜が枝垂れていて、春の開花時は良い眺めでしょうね。





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金峯神社拝殿。
本殿はこれのさらに奥にあります。





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そして、どちらかと言えばこちらが本命の義経の隠れ堂は拝殿の左下。
社務所の脇に入口があります。






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ここから少し山道を下ります。





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薄暗い道の先に御堂のようなものが…。





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源義経の隠れ塔。
兄頼朝に追われ吉野へ逃げ込んだ義経がここに身を潜め、さらに追手から逃れるために屋根を破って外へ逃げたという伝承から、またの名を「蹴抜けの塔」とも呼ばれているようです。





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反対側からも。
これを見た時、由緒書きを読む前でしたが、知らず大河ドラマ『義経』最終回の御堂ドッカン!がフラッシュバックしてしまいました (^_^;)

で、屋根を蹴破ったという下りで、その符号っぷりにまたビックリ!
まあ、さすがに白馬にはなりはしなかったようですが(爆)、荒唐無稽と思われたあのシーンの発想の大元は実はこの伝承だったのかしら?

それにしても、8年経っても今なお鮮明に甦る強烈なイメージ。
今にして思えば、良くも悪くも記憶に残る名&迷シーンの多い作品でしたね。

で、なんか久しぶりに見返したくなって、録画したDVDを再生してみたのですが、まだアナログ時代で受像機&録画機とも一世代以上前のものということもあり画質がひどいったらありゃしない。

深夜で構わないので切に再放送を希望します!!!



と、少し話が脱線してしまいましたが(汗)、最後の締め括りに吉野山の絶景ポイントへ。



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花矢倉展望台。
眼下に上千本・中千本・蔵王堂を見下ろせ、果ては金剛山・葛城山・二上山までも望めるという吉野山屈指の絶景展望台です。





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あいにくこの日はやや視界が悪く、遠い山並みはぼんやり霞がちでしたが、





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でも、蔵王堂ははっきりと捉えることができました。
こうして見ても、やはり桁違いの大きさですね。




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ここからの眺めはやはり春の桜最盛期が一番。
来春こそは是非とも実現したいな~♪ (^-^)

【撮影日:平成25年7月6日】


《メモ》
  金峯山寺 【地図】
   奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
   TEL:0746-32-8371

  金峯神社 【地図】
   奈良県吉野郡吉野町吉野山1292
   TEL:0746-32-1089

  花矢倉展望台 【地図】




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