四季彩綴り

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山木判官ゆかりの香山寺

01香山寺門前



  1. 関東
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  3. / コメント:2

 
旅の二日目も朝から雪模様。
今回もまた葛城山上からの富士山眺望は叶わぬまま伊豆を後にすることになりましたが、その前に一昨年の訪問時に訪ねそびれた源平史跡の一つに立ち寄ることにしました。
その場所とは「香山寺(こうざんじ)」。






02香山寺石碑6





03香山寺門前

こちらは「香山寺殿興峰兼隆大禅定門」という法号を有するある人物の菩提寺なのですが、その人物の俗称は「山木判官平兼隆」。治承4年(1180)8月に伊豆で挙兵した源頼朝がその最初の標的として討ち取った人物です。






04香山寺参道





05香山寺兼隆供養塔

境内に入ってすぐの一角に営まれる兼隆の供養塔。
800回忌を記念して建てられたものだそうで、それからまた月日が流れ現時点で831回忌ということに。





06香山寺兼隆卒塔婆

平兼隆について簡単にご紹介しておきますと、平清盛の家人・平信兼の子とされ、安元2年(1176)の後白河院の五十の賀には検非違使として警備に当たっていたとの記録も。この時に関白松殿基房といざこざを起こして官を止められる処分を受けたことで『玉葉』にその名が記されることになったのですが、その後も治承3年(1179)頃まで『山槐記』などにその名は散見し、山木「判官」という称の由来でもある大夫尉(五位・検非違使・右衛門尉)として活動していたことが確認できます。

その兼隆が東国の伊豆にやって来たのはその直後のこと。
父信兼の訴えにより罪を得て、流人としての東下りでした。落ち着いた先が山木(八牧)郷だったことから、ここに山木判官兼隆と呼ばれるようになります。

しかし、この当時の流人というのは必ずしも過酷な仕打ちを受けていたわけではなく、とりわけ平氏一門というブランド力はたとえ「端くれ」であっても地方では強かったようで、京での平家隆盛と共にその威を借る狐のごとく振る舞うようになり、そこに治承4年(1180)5月の以仁王の挙兵失敗で共倒れとなった前の伊豆の知行国主・源頼政に替って、平清盛の義弟・平時忠が知行国主に就任。その代官である目代に兼隆が起用されたことでいよいよ増長を極めますが、絶頂は凋落の始まり。これにより反平家勢力の意趣をまともに受ける立場ともなり、挙句に源氏挙兵の血祭りに上げられることになったのでした。






06香山寺参道椿

椿は潔く散るを良しとする武士の好む花と言いますが、兼隆はあまりの不意打ちにその覚悟を定める暇もなく呆気なく討たれたのでしょうか。






07香山寺落椿





08香山寺本堂

さらに参道は奥に伸び、高台に本堂らしきものが。






08香山寺より眺望

本堂前から振り返ると梅の花ごしに韮山の街並みも見えます。
この香山寺は山木兼隆の館跡にほど近い場所にあるそうで、上から見下ろしてこれですから、逆に頼朝の住まいのあったという守山八幡宮の辺りからも、夜襲であればなおのこと火の手などよく見えたことでしょうね。



ところで、山木兼隆といえば北条政子との縁談が進められながら、当の政子が頼朝に走り一杯食わされたというフラれ男のエピソードも有名ですが、飛び飛びとはいえ残されている記録などを見るに、兼隆が伊豆へ下って来たのは政子と頼朝の長女・大姫誕生よりも後ということになり、まずは創作であろうと見られています。

ただ、大姫の生年に多少の差異もあるかもしれませんし、京側の記録に残る「平兼隆」が同姓同名の別人という可能性もなきにしもあらず。また可能性で言えば、物語上は兼隆の名を借りて、名前は別人ながらエピソード自体は事実ということもあるかもしれませんけどね (^_^;)






09香山寺梅





10香山寺門より

ということで、香山寺を後にしまして、続いてこの近くに山木兼隆の館跡を示す碑があるというのでしばらく探し回ったのですが、結局見つけられず終い。

香山寺から少し下った所にある「浄念寺」というお寺(車が止まっていたので後で撮ろうと思っていたら全然違う場所に出てしまい撮れず)に、それらしい雰囲気を感じて上がってみたものの見当たらず、そのまま境内を抜けて時には道とは呼べないような所も通りつつ(汗)一めぐりしましたが、途中で見晴らしの良いこの辺りが恐らくそうだろうと予想して一応写真は撮っておきました (^_^;)






11山木兼隆館跡付近

この辺りにも梅の木が多く植えられていて、満開に近い勢いのものもありました。







11山木兼隆館跡梅




13道しるべ






12分かれ道

話が前後してしまいますが、香山寺を示す道しるべ。
この三叉路の右手側には重要文化財にも指定されている「江川邸」があります。







14江川邸

江戸時代の代官屋敷の風情をそのまま伝えるこちらの建物は、時代物のドラマなどのロケにも度々使用され、中でも一躍その名を広めたのは平成20年のNHK大河ドラマ『篤姫』。







15江川邸

篤姫の生家・今泉和島津家として使われ、こちらの門などは多くの方の記憶に残っているのではないでしょうか。

また、4月から続編も放映される『JIN-仁』のロケにも使用されており、同じ門が医学館の門として登場していたようですので、今度の続編にもまた出てくるかもしれませんね。

内部も見学できるのですが、山木館跡探しですっかりくたびれてしまいましたので(汗)、今回はスルー。これにて韮山を後にすることとなりました。







16山木郷

最後に未練がましくも山木館跡とおぼしき辺りを撮影。
この辺りからでもお天気が良ければ富士山が望めるのかしら? (^_^;)




【撮影日:平成23年2月12日】





《メモ》
  香山寺 【地図】
   静岡県伊豆の国市韮山山木868-1
   TEL:055-949-2905

  江川邸 【地図】
   静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地
   TEL:055-940-2200
   入場料… 一般300円、小中学生150円
   開館時間… 9:00-16:30(受付は16:15まで)※水曜日は9:30~15:00



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comment

  1. 2011/02/28(月) 23:48:49 |
  2. URL |
  3. 手鞠
  4. [ 編集 ]
ともp様、こんばんは~♪

香山寺は一昨年の訪問時に時間切れで回れませんでしたので、この日はお天気が悪くて写真の撮り直しにも向かないということもあり、未訪問地優先のセレクトとなりました (^^ゞ

伊豆の史跡関係は『草燃える』の時に整備されたものが多いみたいですね。蛭ヶ小島ではどうだったか覚えていませんが、文覚ゆかりの毘沙門堂では3枚目の写真に映っているのと同様の看板が立っていたのは記憶しています。

そういえば韮山の反射炉は今回もスルーしてしまいましたね。
香山寺からならもうすぐそこだったようですが、江川邸も通り道にあったので外観だけでも撮ることができたようなもので、現地ではすっかり頭の中から消えておりました (^_^;)

確かに、源氏の挙兵は山木判官が伊豆に来ようと来まいと、時代の流れの中で必然的なものだったでしょうね。それこそ平家の息の掛かった相手なら誰でも良かったというのが本音ではないかと…。その意味では細かい所でいくらか違う経過をたどるとしても、大筋ではほぼ同じような結果に至っていたのではないかと思います。

続いての史跡訪問の記事は只今作成中ですのでもう少しお待ち下さいませ m(__)m

  1. 2011/02/27(日) 23:02:11 |
  2. URL |
  3. ともp
  4. [ 編集 ]
こんばんは。

手鞠様が行かれた源平ゆかりの場所とは
山木判官の菩提寺だったのですね。

韮山は前にも申し上げたかもしれませんが
10年以上前に仕事で(それも訴訟資料を
集めるというまったく色気のない仕事で)
行ったっきりで、そのときは
歴史散策はできなかったので、いつかまた
行きたいと思っていたところでした。
途中通りかかった蛭が小島に
『草燃える』の舞台と書かれた古びた
看板がありましたが、今でもあるのでしょうか?

また、江川英龍ゆかりの場所は
小学校のときに見学した反射炉だけで
江川邸のほうは行かなかったので
今回様子をみることができて
とてもうれしかったです。

山木判官が伊豆に行っても行かなくても
頼朝による反乱は起こっていたと思いますが
まったく別のかたちで起こっていたと思います。
その場合の歴史はどうなっていたのでしょう?
歴史に『もし?』はありえませんが
なかなか想像力をかき立てられます。

このあとどちらに行かれたのでしょう?
次回更新を楽しみにしています。




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