四季彩綴り

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遠州源平史跡めぐり(1)

00千手の前冊子表紙


千手前のふるさとを訪ねて…



  1. 東海
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後ろ髪を引かれる思いでお昼前に伊豆を後にしまして帰阪の途についたわけですが、「このまますんなり帰ったのでは勿体ない!」と立ち寄ったのは清水港。





01清水港





02清水港寿司オブジェ

その目的はと言えばお寿司(笑)。
同行人がどこで聞き込んで来たものやら、清水に寿司屋のフードテーマパーク的な施設「清水すし横丁」というのがあるらしいから行ってみたい!と言い出し、それならもしお天気が良くて富士山が見えるようなら、伊豆の土肥から船で清水に渡って寿司を食べよう!なんて計画を立てていたのですが、あいにくの天候でフェリー乗船は断念。よって、車で清水入りということになりました。何しろ今は高速代の方が遥かにお安いですからね (^^ゞ

で、ご希望通りに寿司を食した後、せっかく清水で途中下車したことですし、それならついでに…と予てより気になっていた某史跡に向かってみることに。清水より静岡市内を通り抜け「安倍川餅」でお馴染みの安倍川に架かる安倍川橋を渡ったその先にある「手越」が目的の場所です。






03手越-安倍川橋

かつては旧東海道(鎌倉街道)の宿駅として栄えた手越宿。
平家の公達・平重衡との交流の逸話を残す「千手前」の故郷といわれている土地です。





04手越-案内地図

(この画像の拡大表示は こちらをクリック のこと)

『平家物語』によれば千手前は手越の長者の娘とあり、彼女が生まれ育ったであろう長者の館跡とされる場所に「少将井神社」という小さな神社があります。







05手越-案内板





06手越-少将井神社01

(この画像の拡大表示は こちらをクリック のこと)






07手越-少将井神社-扁額

少将井神社の「少将」とは曾我兄弟の仇討ちを描く『曾我物語』に登場する遊女の名にちなんだもので、千手前はその少将の妹とも言われているようです。






08手越-少将井神社-鳥居





09手越-少将井神社-本堂

石造りの鳥居の先に拝殿があるだけのとても小さな神社ですが、この境内の一角に千手前の像が建っています。







10手越-少将井神社-千手像





11手越-少将井神社-千手像

長じて鎌倉に出た千手前は頼朝の官女あるいは政子の女房として仕えていたようですが、やがて一の谷の合戦で生け捕られ鎌倉で幽閉生活を送る平家の公達・平重衡の身の回りの世話をする侍女的な役割を申し付けられます。千手には白拍子あるいは遊女だったという説もあり(長者の娘という表現自体にその手の意味合いが強い)、生来詩歌・管弦を友とする都人の相手には打ってつけということだったのでしょう。

『平家物語』では一夜の宴の遊興について語るにとどめ、二人の間に恋愛関係が生じたかどうかは読者(聴者)の想像に委ねていますが、その後の千手の動向を見るに、やはりそういうことになっていたのでしょうね。

二人の出会いから1年余りで重衡は南都奈良へ送られて処刑され、残された千手は彼の死を嘆き悲しみ、信濃国善光寺で髪を下して尼となり、重衡の菩提を弔いつつ24才という短い生涯を閉じたと結ぶのは『平家物語』。

一方、鎌倉側の史書『吾妻鏡』では重衡と別れて後は政子の女房として鎌倉御所勤めに復帰したものの、文治4年(1188)に突如として失神し、一旦正気を取り戻したものの、それから3日後に死去。世の人々は亡き重衡を恋い慕い続けた心労ゆえの死であろうと噂し合ったとも言います。

ということで、重衡の死後3年間の動向に異なる点はあるものの『平家物語』も『吾妻鏡』も24才という若くしての早逝としている点で共通していますが、さらに尼となって後の消息として、善光寺の他に遠江・池田宿にて隠棲していたとする説もあるようです





遠州地図02

(この地図はクリックで拡大表示可)

池田宿は手越から西へおよそ60km余り離れた現在の静岡県磐田市(旧豊田町)付近。
この地には千手前(千寿前)の墓とされる史跡が残されています。






20千手墓





21千手墓

元々、千手の母がこの地にあった千手寺の千手観音にお参りして女児を授かったことから「千手」と名付けたという前日談もある曰く付きの土地らしく、出家の後こちらに身を寄せた千手は24才で亡くなるまでここで重衡の菩提を弔ったと言いますが、実は池田宿にはもう一人お仲間(?)がいて、その人の名は熊野(ゆや)。

『平家物語』中、鎌倉に護送される重衡の道中を描いた「海道下り」の段に登場する池田宿の長者の娘で、そこから生まれたスピンオフのような謡曲「熊野」では彼女と重衡の兄である平宗盛との切ないロマンスも語り継がれています。

ここで一つ留意しておかないといけないのは、熊野と同様、千手前と重衡のエピソードもまた謡曲「千手」によってよりドラマチックに脚色改変されている部分もあって、こちらの史跡もどちらかと言えば史実や『平家物語』などより謡曲に基づいて設けられたものと考えた方がよろしいかと思われます。






22千手墓

千手の墓とされる場所に建つ祠のようなものは覆堂。
この中に「傾城塚」とも呼ばれる石塔が安置されています。






23傾城塚

かつてこの辺りには老松があり「そのそばに白拍子を葬った」との言い伝えがあったようですが、その老松は江戸時代(寛文4年)に焼けてしまい、後に有志によって供養のための塚が建てられたとのことです。

しかし、「城松樹傾信女」というのはどうやら千手の戒名のようですが、「国家安康」のように二つに割いて入れ込まれた「傾城」という文字に、「絶世の美女」の意を含んでいるとはいえ、少し抵抗を覚えてしまいますね (-_-;)




ということで、時の二大有名美女が競演というのにはご都合主義の感が否めませんが、ただ、同じような身の上の二人が肩を寄せ合い、亡き人の後世を祈りつつ余生を過ごしたというのは同じく『平家物語』で有名な祇王と仏御前のエピソードとも重なりあうようで、中々興味深くもあります。

なお、熊野の墓はここから6km余り離れた行興寺にあるらしいのですが、今回は時間切れでスルー。「熊野の長藤」と呼ばれる藤の名所でもあるそうですので、できれば花時に訪ねてみたいものと思っています (^-^)




【撮影日:平成23年2月12日】



《メモ》
  少将井神社 【地図】
   静岡市駿河区手越202番

  千寿の前墓 【地図】
   静岡県磐田市野箱





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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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